73の日記

笑える日が来る。前へ進む。

病院

父親を連れて検査に通う病院。

それは、私が以前働いていた病院です。


私がその病院で働き始めたのは、2年前のうつを発症してから9ヶ月くらいの事でした。


働き始める自信も何もなくて、短時間のしごとをしていた頃です。

人から言われたことがきっかけとなりました。

旦那さんの収入だけじゃ大変じゃないの?

ふたりで稼いでいたのが、半分て大変だよ。

早く仕事につかなきゃだめじゃん。


それから仕事を探しました。

そして病院で働くことになりました。


病院というのは特殊な職場です。

私は医療のいの字も知らないのに、医療に関する電話を受け、ドクターからの何を言ってるのかわからない言葉をメモし、時には

緊急できた患者さんの処方されていたお薬情報を口頭でメモしてくれと言われ

わけもわからずに人の命を扱う仕事の一部分をやっていました。


ドクターからは怒鳴られ、クラ−クからは馬鹿にされそんな日々が続きました。


完全にうつでした。

うつで泣きながら仕事をしていました。


ある時、腰を痛めて2日ほど仕事を休みました。

上司からの配慮で違う係へ異動する事になりました。

今思うとなぜあの時、異動したくないと言わなかったのか悔やんでいます。

上司もこの係では腰の 負担を軽くしてあげることはできないからと異動してほしいと言われました。


異動した係は、前の係とは違いました。

前の係が『動』なら移動先は『静』の係でした。


うつの私がますます悪化していきました。

もう辞めることしか考えられなくなるほどまで追い詰められる環境でした。


1日一言も話さず無言の帰宅をする毎日でした。


私の前の係では二人の新人を採用しました。

一人の方は私よりひどい腰のヘルニアで療養していた方でした。

その方は、腰に負担が掛からないように仕事を配慮してくれたらしく、その話を聞いた私はとてもショックでした。


私は嫌われていた。

私はその職場には必要なかった。

自分はダメな人間。

そんなことしか思えませんでした。

父親の病気

9月26日、父親が救急車で運ばれました。

2年ほど前に脳梗塞で入院したことがあったので脳梗塞?を疑いましたが

今回は、検査結果から肺がんと咽頭がんがあることがわかりました。


母親は、足腰が悪く杖なしでは歩けない状況で、10月に手術する予定でしたが

延期することになりました。


この一ヶ月、熱を出して動けずにいる父親を病院に連れて行ったり、何度行ったかわからないほど毎日病院に通いました。


母親は病院に付き添いできる状態ではないため、私がいつもついていくことになりました。


外にも行きたくない。

人と会いたくない。

そんな私が、父親を連れて行くしかなくて。


検査結果の説明も私が聞くしかなく、常にショックを受け落ち込んでいました。


仕事をパワハラで精神的に追い詰められ辞めてから、父親のがんが発見され悪いことばかりが起きます。


私が全て悪いのか。

私は、何を間違えて生きてきてしまったのか。

これから生きていっていいのか。


死にたくて死にたくて死ぬしか考えていなかった。

そんな時に、父親のがん。

私しか、病院に付き添えず辛くてもまだ死ねないようです。


まだ生きていろという意味なのか。

辛いけれど生きています。

2年前

2年前もうつになりました。
その時も期間満了で仕事が終わりになり次に何をしていいか、自分がどうなるのか不安で不安でいたら鬱になりました。


精神科に通いました。
眠れず食べれず人に会うのも怖くて、お店に買い物に行くのも怖くて。


一刻も早く仕事につかなくてはという焦りはありながら日々を苦しみながら生きていました。


死にたいと思っていました。
橋の上から下を覗いてみたこともあります。
怖かった。


仕事をしていないとダメだ。
何でもいいから仕事につけ。
誰が食わせてやってるんだ。
俺の電気代だ。
俺の家だ。


実の父親がいつも言っていた言葉です。
昔からそんな家庭でした。